元スピードスケート選手・高木菜那さんインタビュー(前編)/とにかく一番になりたい
オリンピックで金メダルを2つ、銀メダルを1つ獲得している元スピードスケート選手、高木菜那さん。現役時代からトレーニングでロードバイクに乗り、現在はNHKの自転車番組「チャリダー」に出演する、ビオレーサーファミリーのサイクリストでもある。同じくスピードスケート選手である妹の髙木美帆さんとの関係性や、過酷な選手生活、モチベーション維持の方法、レースの楽しみ方などについて聞いた。
24年間の競技人生
北海道中川郡幕別町出身。スピードスケートを始めたのは小学校2年のときだったという。
「1998年の長野オリンピックに影響されて、兄がスピードスケートを始めたんです。私が小1のときでした。兄が練習をしているとき、私たち姉妹は留守番。『さみしいからもうお留守番はいや』両親にと言ったところ、『じゃあ二人もやってみる?』と」

そうして始めたスピードスケートが人生を賭ける競技となった。
「小学生のときは、上位にはいましたが飛びぬけて速いというわけではなかったんです。妹は小1の頃からずっと速かったんですけどね。中学では全国を1回獲っただけで他のタイトルは獲れていませんし、高校では目立った成績は一つも残せていません。ずば抜けて速かったというわけではなかったんです」
しかしのちに世界レベルで戦う選手に成長する。
その“羽化”のきっかけとは。
「高校1年のときに世界ジュニア(ジュニアクラスの世界大会)に出たかったんですけど、先輩たちに全然敵わなくて、私は出れませんでした。でも妹は中学2年生のときに選ばれて出場したんです。それがもう悔しくて。練習量が多いチームではなかったんですが、自主的に練習を始めて、私は高校2年のときに出場しました」
しかし、妹の美帆さんは一歩先を行く。菜那さんが世界ジュニアに出場を決めた年、美帆さんはスピードスケートの日本史上最年少(15歳)でバンクーバーオリンピックに出場する。菜那さんは現地で観戦したが、悔しさが募った。
「そのとき初めて、『オリンピックに出たい』と強く思いました」
高校を卒業し、名門実業団チームを就職先に選んだ。スケートに集中できる環境で「なにがなんでもオリンピックに出る」とがむしゃらに練習を続け、2014年、ソチオリンピックに出場。このときは美帆さんが出場できず、姉の姿を見て悔しい想いをしたという。4年前とは姉妹の立場が逆転したことになる。
この経験は姉妹を成長させ、2018年の平昌オリンピック、2022年の北京オリンピックには姉妹で出場。菜那さんは平昌では金メダルを2つ、北京では銀メダルを獲得し、北京オリンピック後の2022年4月に引退を発表する。
「『自分で自分を誇れる選手になれたと感じた』ことが理由です。私は強くなった。速い選手になれた。そう思えたので引退を決めました。30歳という区切りの年齢だったことも理由の一つです
氷上を光のように駆け抜けた。それは間違いなく輝かしい競技人生だった。

人と戦う楽しさ
そんな高木さんが考えるスピードスケートの楽しさとは。
「自分で『こういう滑りがしたい』とイメージしたとおりのことが体で表現できて、それが速さやいい滑り、勝利につながったときはめちゃくちゃ楽しいです」
自転車の世界でも分かれる答えかもしれないが、「ただ速く滑る」ことが楽しいのか、それとも「ライバルに勝つ」ことが楽しいのか。
「それはもう『勝つこと』ですね。とにかく一番を獲りたい。それについて美帆とも話したことがあるんですが、速く滑るという技術だけを求めていると、戦わなくてよくなりますよね。試合に出なくてもよくなる。さっきも言ったように『技術を高める』ことも楽しいんだけど、なんで私たちは練習を重ねて試合に出てオリンピックで戦うんだろう?って考えたときに、『人と戦う楽しさ』を知ってるからだろうな、と。もちろん、そのぶん負けることもあるし、そのときは悔しいし辛いんですけど、レースがなかったらつまんない」
しかし、競技のジャンルを問わず、プロ/アマ問わず、レベルを問わず、競技で「人に勝つ」というモチベーションを維持するのは、心なり体なりに少なからず負荷をかけるのではないかと思う。「○○に勝ちたい」というシンプルかつ強烈な欲求を持ち続けることは、ものすごいエネルギーを消費する。心の奥底に煮えたぎるそれが心身の負担となる人もいるだろう。トップレベルの世界で何年もモチベーションを保ち続けられた理由は?
「モチベーションですか。モチベーションは……勝手に湧き上がってましたね(笑)。ライバルを壁だと思ったら『越えられない』と考えちゃってモチベーションが落ちてしまったりすると思うんですが、私にとって妹は、『越えられない壁』ではなく、『勝ちたい相手』だったんです。越えたいというより、妹と同じ場所に行きたかったんですね。妹が見ているのと同じ景色を見たいと。だから、身近にモチベーションの原動力になるものはあったと思います」

立ち止まっている時間はなかった
いいライバルの存在が伸びる力になると言われるが、高木さんの場合はそれが妹の美帆さんだった。
「妹がいる場所に行って、もっと速くなって正々堂々と勝負をして、金メダルを獲るためにはどうすればいいんだろう?と考えていると、モチベーションを落としている時間がなかった。『金メダルを獲る』という目標に到達するには、4年じゃ短いくらいなんです。だから休んでいる時間はない。立ち止まって考えることも大事だと思いますが、立ち止まりっぱなしだと、その時間がもったいない、次につながることを考えよう、と」
それは、生まれ持ったメンタルの強靭さなのか、幼少期から兄妹という身近なライバルがいたからなのか。
「心が強いか弱いかと言われたら、強いほうだと思います。めちゃくちゃな負けず嫌いだったので。でも、妹のほうが競技で成績が出ていたし、姉妹ということで比べられたので、きっとずっと辛かったんだと思います。自分の心の辛さを人のそれと比べることはできませんが、高校生のときも社会人になってからも、心が折れそうになるときはたくさんありました。でも、『このままじゃ終われない』という想いのほうが強かった。まだできることがあるのに、今ここでやめたらずっと後悔するし、ずっと自分をかっこ悪かったと思って生きていくことになるだろうなって」



