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YURIfit・北海道エスポワールプロジェクト代表・日本代表コーチ 小橋勇利さんインタビュー(後編)/この経験を自転車界の発展に
元プロ選手として国内外を走り、現在はフィッターとして、北海道エスポワールプロジェクトの代表として、そして日本代表のコーチとして活躍する小橋勇利さん。しかし、その半生は決して順風満帆ではなかった。それが故に、今の彼があった。彼の人生の歩みを辿るインタビュー。
選手引退、フィッターへ
結局、フランスで4シーズンを過ごし、最後の一年は日本の恵まれた環境で思いっきり選手をやろうと考えシマノレーシングに加入。U23最後の2016シーズンを走って引退を決断する。引退後、考えていた「後進への指導」を本格的に始める。
「最初はフィッティングから始めたんです。現役時代から、ポジションに悩んでいるチームメイトに私がポジション面のアドバイスをしていました。それが好評で、『自分が伝えることで相手が向上する喜び』を肌で感じることができたんです。そのうちに、自分がたどり着けるか分からない目標を無理をして追い求めるよりも、自分の経験を人に教えて還元したいという思いが生まれました」
フィッティングの知識はどこで得たのだろうか。
「フランス2年目に膝を壊して手術をしたとき、JISS(国立スポーツ科学センター。オリンピック強化指定選手になると使える施設で、ハイパフォーマンスジムや風洞実験棟などの研究設備が揃っている)でトレーナーに付いてもらってリハビリやトレーニングをしていたんです。トレーニングルームにバイクを持ちこんで、前後左右から撮影をして、ポジションを変えるとどうなるのかという研究をトレーナーと一緒にやりました。その際に体のことを本格的に学べたことが大きいです」
自己流ではなく、最先端の理論に自らの体を持って触れたわけである。
なぜボートレーサー?
しかし、ここで小橋さんは一つ遠回りをすることになる。
「フィッティングを含め、サイクリストのサポートや後進たちの育成をしたいと考えていましたが、当時は今ほどコーチ業やフィッター業が盛んではなかったこともあり、ビジネスにはできないだろうと考え、なにか収入の柱を立てなければと思って、ボートレーサーを目指すことにしたんです」
勉強をし、資金をはたいてボートレーサーの養成所に入学したが……。
「タイムはよくて教官からも評価されてはいたのですが、全くボートに興味が持てなかったんです。『速い乗り物で競うことが好き』だと自分では思ってチャレンジしたんですが、僕はタイヤが付いていないと駄目だと分かりました(笑)。タイヤが地面に接地していてグリップする感覚が好きなんだなと。でもボートレーサーの養成所にいったことがいいきっかけになりました。当初はフィッティングやコーチングはボランティアでもいいかなと考えていたんですが、本気で人に教えるなら、それを本業にしないと駄目だなと思い直したんです」
そうして、プロのフィッター・コーチになることを決意し、地元北海道でフィッティングビジネスを開業。PCGでパワートレーニング及びデータ分析を専門的に学び、日本体育協会公認コーチ資格も取得し、コーチング業にも本腰を入れる。その一つが北海道エスポワールプロジェクトだ。北海道のジュニアユース育成チームの発足と運営である。
北海道の選手を全国レベルに
「冬場を除けば、北海道は自転車環境がいいんです。車が少なく、道は広い。関東や関西ではありえない環境です。でも、北海道の自転車競技のレベルは高くはなかった。やる気がある選手はいる。いいものを持っている選手もいる。でも指導を受けられる環境がないと、芽が出なかったりやめてしまったりするんです。北海道は広いので、サイクリストがどうしても分散してしまい、強い人と一緒に練習して強くなるということもしづらい。そんな状況のなか、北海道の若手選手をサポートしたいと考えたんです」
2021年4月に北海道エスポワールプロジェクトを立ち上げてはや4年。手応えは?
「このプロジェクトを始めて3年後、高校1年で加入した子が高校3年になったとき、全日本でワンツーを獲り、ニセコクラシックやインターハイでも勝ってくれました。手応えを感じた瞬間でしたね。もちろん彼らの実力であり、私の手柄ではありませんが、もし私がこのプロジェクトを立ち上げなかったら、彼らはそこには到達できていなかっただろうなとは思います。彼らの実力を引き出すサポートができたのは嬉しかったですね」
「北海道のジュニアのレベルを引き上げれば、それが周りに波及して、北海道全体のレベルも上がると私は確信していたんです。実際、北海道の自転車競技のレベルは徐々に上がってきています。レース会場では『北海道って最近強いよね』と声をかけられる機会も増え、全国で戦えている実感と認識が出来てきました。今後はクラブとしての組織そのものの規模を拡大し、より広い地域、より多くの選手に競技指導を提供して行くことが課題です」
日本の自転車界を盛り上げたい
小橋さんは、2024年8月、ロード日本代表のコーチに就任した。主にジュニア・U17カテゴリーを担当することになるという。後進の育成という目標にまた一歩近づいたわけでが、今後の目標とは。
「自分の選手人生は順風満帆とはいかなかったかもしれません。しかし、これまで色んな人の支えで経験させてもらったことは、すごく価値があって有意義なことだったと思います。今後は、フィッティングとコーチングを通してそれを還元したいですね。今はナショナルチームのコーチとして日本のジュニアを強くすることに取り組んでいますが、北海道のケースと同じく、日本のジュニアのレベルを上げれば日本の自転車競技のレベルも上がり、日本の自転車業界が盛り上がると思っています。それをぜひ実現させたいですね」
小橋さんの自転車選手としての実力や戦歴は輝かしいものであり、傍から見れば立派な成功だが、設定していた「ツール」「世界」には届かなかった。ご本人としては、それを挫折や失敗ととらえているのかもしれない。しかし小橋さんは、その経験を未来を担う若手に役立てようとしている。
挫折や失敗をばねにする―― 言うのは簡単だが、行うのは難しい。いじけて自己憐憫に浸って自慢話を繰り返し始めるのがオチだ。しかし小橋さんは違う。それは、道産子小橋勇利に生まれながらにして備わっている実直さ、強さが故なのだと思う。