トライアスリート田中美沙樹さんインタビュー/「泳ぐ・漕ぐ・走る」への純粋な愛
注目の女性トライアスリートがいる。昨年、ロングディスタンスで日本一となった田中美沙樹さんだ。ビオレーサーファミリーでもある彼女の、トライアスロンとの出会いとは。なぜ過酷なトライアスロンという競技を選んだのか。
スポーツ好きの負けず嫌い
一応、取材の前情報としてお名前で検索をしてみる。すると、ピンクと金色の髪ではじけるような笑顔でピースをしている、いかにもお転婆娘といった風情の写真が出てきた。しかし、挨拶を済ませて話し始めたその口調はしっとりと落ち着いたトーンで、言葉遣いも非常に丁寧だった。そのギャップに少し驚く。トライアスリートの田中美沙樹さんである。
1998年、愛知県知多市生まれ。幼少の頃からスポーツが大好きだった。
「負けず嫌いで、駆けっこで負けたら悔しくて泣いてしまうような子供でした。小学校では競泳をメインに、バスケットボール、陸上をやってました。進学する中学に水泳部がなかったので、スイミングクラブの選手クラスに所属しつつ体力作りのために陸上部に入って長距離走を走ってたんですよ。走ってるとだんだん楽しくなってきて、陸上の試合にも出てました」

トライアスロンとの出会い
「高校にあがるときに、水泳部に入ろうか陸上部に入ろうか、すごい悩んだんです。ある高校から『うちにきて駅伝部に入りませんか』と声をかけていただいたりもしたんですが、結局は水泳を選びました」
そうして、水泳のために名古屋の私立高校に進学。そこで出会った同級生がトライアスロンへの道を開いた。
「同期の子がたまたまトライアスロンをやっていて、それでトライアスロンという競技を知ったんです。その子の話を聞いて、『トライアスロンなら泳ぐのも走るのも両方できるんだ!』と。走ることも泳ぐことも好きなので、あとは自転車乗るだけ。1つの競技で3つもできるというお得感(笑)。私はそこに魅力を感じてしまって。それで、高校1年生のときから『大学になったら絶対トライアスロンをやろう』って決めたんです」
しかし、高校の3年間は競泳に専念した。
「3年間は水泳をやりたいって親に言って私立に入れさせてもらったので、水泳は絶対諦めないって決めていたんです。毎朝始発に乗って朝練に欠かさず参加して、授業が終わったら午後も泳いでました」
不完全燃焼の大学時代
そうして競泳三昧の3年間となった高校生活を経て、ついに念願のトライアスロンを始める。籍を置いたのは、日本福祉大学のトライアスロン部。泳ぎはお手の物。ランは陸上仕込み。問題はバイクである。トライアスロンバイクを買って自転車の練習を始めるが……。
「スポーツバイクは初めてだったので、最初はすごく恐怖感がありました。落車は何度もしましたし、救急車で運ばれたこともありました。落車は怖いんですけど、勝ちたい、強くなりたいという気持ちが強かったですね。大学1年のときは『やっとトライアスロンができる』という感じですごく楽しかったんですが、3種目になるので練習量が増えて、2年のときに怪我で1年間を棒に振ってしまったんです。その年は完走できたレースが1回くらい。それが悔しくて悔しくて。負けたくない、ここで終わりたくないって」

負けず嫌いの本領発揮だ。3年生では調子を取り戻し、アジアカップや日本選手権などの大会に出場、海外選手とも戦う。パフォーマンスも上り調子で、さあこれからだという4年生のとき、コロナウイルスが世界を襲った。レースはことごとく中止になる。
「大学の4年間はトライアスロンを頑張るって決めてたのに、最後の年でこんな風になっちゃったので、不完全燃焼です。これで終わっていいのか?という気持ちがあり、結局、大学を卒業してもトライアスロンを続けることにしました。卒業後1年だけ、本気でトライアスロンをやって、4年生の分を発揮しようと」
当初は大学を卒業したらすっぱりと引退し、就職をするつもりだった。しかしトライアスロンを諦められなかった田中さんは、当時お世話になっていたトライアスロンチームに選手兼社員として所属する。田中さんはもうそこまでトライアスロンに魅せられていた。

退職、そしてロング転向
「環境はすごくよかったんです。働かせてもらえるし、練習もできるし。でもコロナが長引いてしまって……その1年もやっぱ大会がことごとく中止になってしまって。2012年も22年もそこに所属させてもらってトライアスロンを続けました。このままで終わりたくない、と」
22年から大会が少しずつ再開される。
「それまではショートがメインでしたが、初めて見たトライアスロンの大会はアイアンマンだったこともあって、ミドル/ロングディスタンスにも挑戦しました」
2023年の夏に仕事を辞めるという大きな決断を下す。所属クラブがショートディスタンス寄りだったことも原因の一つだった。
「チームは離れましたが、トライアスロンは絶対辞めたくない。むしろミドルとロングでこれから頑張っていきたいと思ってました。仕事を辞めてからの1年間は、どこにも所属せず、バイトしながらずっと1人で練習してました。その年に国体と日本選手権に出たんですが、国体11位、日本選手権6位、日本ロングディスタンス選手権では優勝と、今までで最高の結果が出たんです。じゃあもう完全にロングに転向しようと考えて、今はSQUAD TAKUYA(ST)というチームにお世話になっています。このチームにはロングに出ている人が多くて、コーチ(日本トップクラスのトライアスリートとして活躍した柴田卓也氏)もロング出身なんです」

「やっぱりショートとは全然違う競技ですね。練習や補給のやり方含めて、今も試行錯誤してます。でも私は一発のスピードより淡々とこなしながら後半から上がってくるタイプなので、自分ではロングに向いているんじゃないかと思ってます」
2025年、ロングディスタンスの日本選手権で優勝。
「例えば、脚が痛くなっても泳ぐことはできるじゃないですか。肋骨にヒビが入ってもローラーはできるじゃないですか。実際この前、ヒビ入ったんですけど(笑)」
田中さんは、ふふふ、と笑いながらものすごいことを言う。
「トライアスロンはどれか一種目ができなくても、どれかで補えるんですね。そこが魅力です。3種目での戦いというところが面白いんです。どれか1つだけ速くても勝てない。それに、トライアスロンは自然との戦いでもあるんです。荒れてる海や、暑さや寒さをどう克服して、3種目をどう組み合わせて戦うか。そこがトライアスロンの魅力です」

周りのサポート
今は練習に専念する日々だ。
「今、こうしてトライアスロンに打ち込むことができているのは、応援してくださるスポンサーの方々をはじめ、たくさんの方に支えていただいているからこそだと思っています」
大学時代は、学生の間は競技に専念し、卒業後はスパッと引退して就職、と考えていた。ドライだがある意味正しい判断だろう。しかし、トライアスロンに魅入られた今はそんな冷静にはなれない。
「トライアスロンを始めて、いろんな方に出会えました。いろいろあって落ち込んで、やめた方がいいんじゃないかと思ったこともあったんですが、トライアスロン仲間も家族も励まして背中を押してくれたんです。兄と妹がいるんですが、2人とも『美沙樹の活躍が見たい』『自分にはできないことをしている美沙樹を応援したい』と言ってくれてます。今所属しているSQUAD TAKUYAも、よそのチームからきたにもかかわらず暖かく迎え入れてくれて、もうすごく嬉しくてありがたくて。いいコーチにもいい仲間にも出会えました」

「私は人に恵まれてます。たくさんの方に支えてもらっているからこそ、今こうやってトライアスロンに集中できているんだと思うと、感謝しかありません。そうやって支えてくれるたくさんの方がいるから、ここでやめちゃいけないと思います。みんなに喜んでもらえるように、結果を出して恩返ししたい」
トライアスリートとしての今後
2026年9月、佐渡でロングディスタンスの日本選手権が行われる。
「去年優勝したので、もちろん連覇を目指します。今年、勢いに乗っている強い方が出てくるんです。その方とどこまで戦えるかを楽しみにしています。その後の目標は海外ですね。日本だけじゃなくて、世界に行って戦いたい。戦うだけじゃなくて、勝てるようになりたい。海外には恐ろしいほど強い選手がたくさんいるので、挑戦しがいがあります」
「トライアスロンは死ぬまで続けようと思ってます。でも選手として一線を退かなければならないときは来ますよね。それが来た後も、トライアスロンにはずっと関わっていたいですね」
恵まれた身体能力に加えて、サポーターたちへの尽きぬ感謝の心と、トライアスロンへの純粋で強烈な愛。それがトライアスリート田中美沙樹を形作っている。

