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バイクショップスネル 諏訪店長インタビュー(後編)/変わらぬ熱意

バイクショップスネル 諏訪店長インタビュー/変わらぬ熱意

強豪シクロクロスチームを主宰し、数々のチームのメカニックを務め、近年ではJプロツアーチームの立ち上げにも関わり、若手育成チームを創設し……と、いちショップの枠に留まらない活動をされているバイクショップスネルの諏訪店長。インタビューを通して、その原動力に迫った。

ショップの在り方とは

オランダに武者修行に行った諏訪さん、得たものは大きかった。

「オランダでは、レース以外にもいろんな勉強をさせてもらいました。例えば、ショップの在り方。日本でレースをやろうとすると、最近は様々なコミュニティがありますが、当時だと基本はショップのチームに所属するのがセオリーでした。だから日本でショップのクラブを作ろうと思ったんです」

「日本にいたときはサイクルプロショップセキヤでバイトをしてたんですが、いつかは独立して自分でショップを、と思っていました。現在キューブの店長を務めている長谷川さん、マグネットの御器谷さんと柴山さんが辞めるタイミングで僕も辞めて、独立してスネルを開店しました。15年くらい前ですかね。セキヤ時代にお客さんや代理店との人脈を築けたので、ありがたかったです」

オランダでのレースを経験し、プロへのプロセスをこの目で見たからこそ、モノを売る場としてのショップに留まらず、チームの活動の拠点になる場を作りたいと考えた。

「だからすぐにジャージを作って実業団チームを立ち上げ、レース活動を始めました。当時は僕もレースを走りたかったので、若手の育成までは手が回らず、チームを作ったといっても自分が楽しんでただけ。でも『いつかはJプロツアーのチームを』と思っていました。スポンサーを付けて本格的なロードチームを作りたかったんです。でも資金が必要だし、なかなかハードルが高いんですよ。そこで、まずはシクロクロスチームでそれをやろうと。オランダではシクロクロスが盛んだったので、スネルとしてもそこに力を入れようと思い、スポンサー、サプライヤーを募り、2013年にスネルシクロクロスチームを作りました」

photo kensaku sakai

 

今までになかったチームを

しかし、ショップ主体のチームにはしたくなかった、と言う。

「オランダでは、『ショップがチームを持っている』のではなく、チームが主体。そのチームにショップがスポンサーになっていたりサポートをしていたりする。そういうプロに近い体制にしたかったんです。シクロクロスチームとしては日本初の形態だと思います」

普通のショップチームにして、「みんなでシクロクロスやろうぜ」ならもっと簡単だったはずだ。

「そうですね。でも、本気で勝負をするチームを作りたかったんです。そういうチームにするには、プロに近い体制にする必要があると考えました。スポンサーとサプライヤーで全身固めて、選手とはちゃんと契約もして。だからそのぶん、メンバーに要求することもありました。スポンサーが付いているという責任をもって、勝負ができる領域まではちゃんとトレーニングをして、レース後には『楽しかった』だけじゃなく内容の話ができるレベルにいってほしかった。だからクラブチームからシクロクロスチームにいく人はほとんどいないんです。メンバーが住んでる場所もバラバラで、お店に来たことない人もいましたね」

ショップチームといえば、できるだけハードルを下げて「みんなで楽しもう」というコンセプトのところが多い。しかしスネルシクロクロスチームはハードルが高く、意識を高く持っていないと入れない。

「楽しむことを否定するのではありません。そのためのクラブチームがありますからね。そんな体制にしたおかげか、中村龍太郎とか鈴木 龍、小島大輝がいたときは成績もよかったですね。表彰台の常連にもなれました」

photo kensaku sakai

 

活動休止、そして新チーム始動

しかし、2024年9月、突如としてスネルシクロクロスチームは活動休止を発表する。レース界で存在感のあるチームだっただけに、衝撃は小さくなかった。

「長くやっていると、だんだんなあなあになってきてしまうんです。でもスポンサー・サプライヤーが付いているという体制は変わらない。製品が供給される体制が当たり前になってきて、スポンサー・サプライヤーを背負っているという重みがなくなってきちゃうんです。重みを感じなくなると、走りにも重みがなくなってきて、成績にも反映される。『すいません今日ダメでした』が多くなってきてしまって……。メンバーの平均年齢も高くなり、若手を育てたいという趣旨からもずれるようになって、ここで止めよう、と。続けることはできたと思います。でもそうすると結局若手は育たない。若い子を育てないと自転車業界が活性化しない。だったら若手育成に注力したほうがいいと考えました」

それが現在の自転車クラブオオタ。スネルシクロクロスチームと入れ替わるように、2024年シーズンから活動を開始した。

「14歳くらいからアンダーまでの選手の発掘・育成を目的としたチームです。シクロクロスは個人競技ですが、サポートなくしては成り立たたないので、選手がレースに集中できる環境を作り、本気でやりたいと思っている子を本場に送り出すシステムを作りたいなと。やる気と目標があれば、未経験でも受け入れます。今4名が所属しており、今シーズンの活動はなかなかだったと思います」

4名の中の一人が諏訪さんのご子息である諏訪琉生選手(下写真)だ。「シクロクロスのプロになる」という夢を掲げ、現在奮闘中。「将来的には海外に行って有力チームに入っていい経験を積んでほしいですね」と諏訪パパ。

photo kensaku sakai

 

やるなら本気で

若手育成チームとはいえ、諏訪さんの“愛ある厳しさ”は健在だ。

「厳しいようですが、“レースに連れて行ってもらってお世話をしてもらっているだけ”ではだめなんです。サポートを通して勉強して、自分で伝手を作れるようになってほしい。必要なことは教えますが、一人でできることはできるようにならないと、いい選手にはなれません。どうせやるなら、そういうことまで考えてあげたいなと思っています。そこまで考えてやっているチームはないかもしれませんね。競技のことをちゃんと分かっており、経験を伝えられるショップは少なくなったと感じます」

一方、Jプロのチームを作りたいという夢は、当初考えていたのとは違う形で実現した。2024シーズンから活動を開始したチームサイクラーズ・スネルである。母体となるのは、金属リサイクルなどを手掛けるサイクラーズ株式会社。日本自転車競技連盟(JCF)のオフィシャルスポンサーでもある。

「サイクラーズの社長である福田 隆さんがスネルのクラブ員なんです。福田さんに『いつかはJプロのチームを作りたいんです』というお話をしていたところ、サイクラーズ社内で話が動き始めて予算がついて、『スネルがJプロツアーのチームを作る』のではなく、『サイクラーズ自体がチームを立ち上げる』という話に昇格したんです。もともとサイクラーズはJCFのスポンサーもしていましたし、バスケットやハンドボールなど他のスポーツのサポートも行っており、スポーツを応援する企業風土なんです。社長はラグビー経験者で、今はサイクリストですし。そうして、サイクラーズに競技経験がある人材が入社してどんどん体制が整いました。だから僕はあくまでチームのスタッフ&メカニック。どんな形であれ、プロチームに携われるのは嬉しいです」

若手の育成と、Jプロツアー。大きな目標を2つ実現させた諏訪さんだが、今後の展望は。

「もっとたくさんの若手に成長してもらい、スネルの活動を踏み台にして海外に行ってプロになってくれると嬉しいですね。スネルや自転車クラブオオタの名義じゃなくてもいいんです。ここをステップとして利用して強くなって、海外に飛び出して羽ばたいてほしいです。やるなら中途半端ではなく、本気でやってほしい」

オランダで啓示を受けたあのときから四半世紀を経た今でも、諏訪さんの熱意は全く冷めていない。

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