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大前 翔さんインタビュー(後編)/これからは“走れる医者”として

大前 翔さんインタビュー(後編)/これからは“走れる医者”として

2025年のツール・ド・おきなわ市民200kmで、劇的な勝利を挙げた大前 翔さん。研修医として働きながらの快挙だった。かつては水泳のジュニアオリンピックで勝利したこともあるという彼は、なぜ自転車に転向したのか。なぜ大学を3年休学して愛三工業レーシングの選手となったのか。復学し就職したのち、なぜホビーレーサーとして復活したのか。大前 翔という特異な自転車乗りの知られざる半生をインタビューで紐解く。

自転車で全国レベルへ

あれだけ打ち込んでいた水泳をやめ、全く別の競技である自転車を始めたわけだが、その判断は正解だったのか、それとも……。

「それがもうめちゃくちゃ楽しかったんです。水泳って指導体制がもう出来上がっていて、みんなスイミングクラブに所属してコーチから与えられるメニューを苦しみながらこなすという感じだったんですが、所属したサイクリング部はそこまで指導体制が整っていなかったので、自分でメニューを考えてたんです。自然の中を走ること自体も楽しかったし、ライド後にデータを分析するのもすごく楽しかった」

水泳時代のコーチから教わった運動生理学的知識をもとに独学でトレーニング理論を学び、自分でメニューを組んで練習に打ち込んだ。

「高校時代の前半は転向したてということもあり、成績はついてこなくて。トラックで入賞はあったと思いますが、ロードは箸にも棒にもかからず。でも高校3年生のインターハイで2位になることができました。ロードで全国大会で成績を出せた初めてのレースだったのですごく嬉しかったですね」

 

世界で走りたい

大学に進学しても自転車は継続。どんどん実力を伸ばしていく。

「大学2年生のとき、東京ヴェントスに所属してJプロツアーを中心に走りました。浅田さんに声をかけていただいてナショナルチームに入り、大学3年生の春にはベルギー遠征にも行かせてもらったんです」

その経験がロード選手としての成長を促した。

「ベルギーでは揉まれましたね。めちゃくちゃきついレースを転戦するなかで、今のインターバル地獄のようなレースで戦う基礎ができたと感じています」

大学3年生のときは、学生選手権のTTで優勝、ロードが3位、全日本選手権もロードで3位と、ロードレースでコンスタントに上位入賞するまでに成長。ツール・ド・ラブニールにも出場した。

医学部という学業の面でも非常に厳しい環境でありながら、自転車の面でもトップレベルを目指したわけは。

「自転車を始めた当時から考えていたんです。少なくとも日本一は取りたいし、そこからもっと先、世界の舞台で走ってみたいと。勉強と練習の両立は、正直かなりしんどかったですが」

そして愛三へ

もっと速く―― という想いは、大前さんにある決断をさせることになった。

「ずっと文武両道でやってきたなかで、『自分がスポーツだけに集中したらどれだけいけるんだろう』という疑問が拭いきれなかったんです。大学3年生でコンスタントに入賞できるようになり、ラヴニールに行っていろんな経験をさせてもらって、『競技に専念するに値する成績が伴ってきた』という実感があり、ナショナルチームでそんな相談をしていたら、橋川健さんが『いくつかチームに当たってみようか』と言ってくださったんです」

「2、3のチームにつないでいただいたんですが、当然ながら『いつかは医者になるために大学に戻ります』に取り合ってくれるチームはなくて。でも愛三工業レーシングだけは『面白い』って言ってくれたんです。『そういうキャリアもありだし、そういう選手を輩出することは愛三というチームの深みにもなる』と、期限付きで契約することができました。親にも『医者にはちゃんとなる。でも、競技生活に専念したらどこまで行けるかを試してみたいんだ』と伝えたら納得してくれまして」

そうして、大学を休学し、レース活動に専念する決心をする。しかし、あくまで“休学”である。期間限定のプロ生活が始まったものの、順風満帆ではなかった。

「当時は多治見市に拠点を置いて、もう練習だけの生活です。でも、うまくいかないことの方が多かったですね。ワールドツアークラスの選手になってやる!という気持ちで極端な練習をやってしまって、体のバランスが崩れてコンディションが悪化し、そこから数ヶ月抜け出せなくなるみたいなことを繰り返してました。単純に練習時間を延ばせば強くなるわけではないということが痛いほど分かりました。今思うと、プロ選手時代はうまくいかないことの方が多かったです」

選手生活を始めたのは2019年。すぐに世界をコロナが襲う。当初は2年間の予定だったが、コロナで多くのレースがキャンセルされたこともあって、1年延長。2022年、3年間のプロ生活を終えて復学する。

「未練たらたらでした(笑)。愛三での選手生活は本当に楽しかったんですよ。自分の好きなことでお金をもらって、もう無限に時間があって、いろんなことを試行錯誤できて。もっと時間が欲しかった。もっといろんなことを試したかった。できることなら続けたかった。でも、結果を出さないと契約を切られてしまうドライな世界でもありましたし、3年まで延ばしてもらったし、戻らざるを得なかったんです」

選手引退の先に

そうして再び大学生になり、細々と自転車競技を続けつつ、2025年に卒業。今度は研修医として多忙な日々が始まるのだが、突如ホビーレーサーとしてレースシーンに復帰。2025年のツール・ド・おきなわ市民200kmでは劇的な勝利を挙げた。

「2023年11月、慶應大学自転車部の先輩である高岡さんに飲みに行こうよと誘われて。『俺のコーチをやってくれないか』『Roppongi Expressで一緒にツール・ド・おきなわや実業団レースを走らないか』と言われたんです」

「そのときは、国家試験も控えていたし、どこまで本気でやれるか不安はあったんですが、『競技としていい成績を出すことだけじゃなくて、ライフスポーツとして自転車を楽しむ人がうちのチームには必要だ』と言ってくださって」

そうして、2024シーズンから高岡さんのコーチ兼チームメイトとして再出発。大学~国家試験~病院勤務という多忙のなかで、ホビーレーサーとしてトップレベルを維持するのはかなり大変だと思うが……。

「一度は競技から離れようとしたんですよ。というのも、復学するときに彼女にプロポーズして、一緒に東京に来てもらったんですね。家庭もできたし、競技はやっぱり危ないし……ということで、自転車に乗る量をかなり減らしてレース活動をセーブしたら、自分の精神状態が不安定になってしまったんです。『たぶん俺は自転車を離れるとダメなんだ』と。競技成績が良い悪いに関わらず、1日2時間ぐらいは自転車に乗らないと自分の精神衛生上よくないなって」

国家試験を受け、多治見市民病院に就職。そうして、朝4時半に起きて自転車に乗ってから出勤する生活が始まった。大前さんはもはや自転車とは離れられない体になってしまったのである。

「自転車の楽しさは3つあると思ってます。まず、自然の中で走る楽しさ。2つ目はメカをいじったり機材を工夫したりというマニアックな楽しさ。3つ目が、自分の体を理解して、『こういうトレーニングをしたらこう体が変わるのか』ということを知る楽しさ。この3つが一緒になっているところがたまらないですね」

羽を広げて大空へ

「今のところ競技の目標としては、エリートの全日本選手権優勝とグランフォンド世界選手権優勝という2つを掲げていますが、それも競技をやる上で便宜的につけているに過ぎません。自分のモチベーションはどこまでいっても『自転車競技自体を楽しむ』ことと、『自分の体を理解する』こと。そこって医師の仕事と関連する部分でもあるんです」

「医師として仕事をするにあたって、自分が今まで経験してきたことが活きるんじゃないかなと。今は多治見市民病院で医師としての基礎を身につけていますが、これに競技者としての経験を組み合わせることで、生活習慣病の予防やアスリート特有の健康問題など、幅広い診療に役立てられると思っています」

ちなみに、このオンラインインタビューは、大前さんのお子さんが誕生されて数日後に実施した。

「今振り返ると、自分の過ぎた向上心というか、何かせずにはいられない多動ぶりによって(笑)、自分で自分を追い詰めていた部分があったと思います。妻はそんな僕とは対照的で、どしっと構えて日々の幸せを楽しむタイプ。娘には、妻のように落ち着いた心で何かに取り組み、そこで咲いてほしいと思います」

大前さんは最後にそう言って少年のような笑顔で笑った。これまで相当に濃厚な人生を送ってこられた大前さんだが、これからはそれによって得られた経験と知識、そして持ち前の向上心と探求心で、たくさんの患者さんを笑顔にし、たくさんのサイクリストに気付きを与えてくれるのだと思う。

名前の翔(かける)という文字には、「羽を広げて空高く飛ぶ」という意味がある。大前さんの飛翔は始まったばかりだ。

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