サイクルウェア最大手BIORACERの「人・モノ・コトが紡ぐサイクリングの物語」

Interview

【BIORACER MEDIAインタビュー~宇都宮LUX 小坂 光さん~前編】2つの選択肢

宇都宮LUX 小坂 光さんインタビュー(前編) 2つの選択肢

宇都宮市役所に勤めるフルタイムワーカーでありながら、2度のシクロクロス全日本チャンピオンに輝いている小坂 光さん。選手生活の大半を、学業・仕事と両立させてきた異色のライダーでもある。2024年シーズンから宇都宮LUXという個人チームを立ち上げ、新体制での活動を開始する。それを機に、ビオレーサーメディアでは小坂さんにインタビューを実施。これまでの自転車人生、お父さんのこと、息子のこと、今後について―― を語ってもらった。(main cut/firtree_momiko)

父の背中を追いかけて

ロードレースサーカスが巡業を終えると、それと入れ替わるようにシクロクロスシーズンが幕を開ける。泥と砂の格闘技だ。

日本のシクロクロスシーンにおいて、今期から新しいチームが始動する。宇都宮LUX。「LUX」とは光を意味するラテン語で、ルークスと読む。メンバーは、小坂 光さん一人。宇都宮市役所に勤務する公務員でありながら、全日本シクロクロス選手権制覇を2度も成し遂げた強豪シクロクロス選手である。

「自転車を始めたきっかけは父ですね。父親がシクロクロスをやっているので、幼稚園の頃からしょっちゅうレース会場に応援に行ってました。それが自転車競技との出会いです」

 

お父さんの小坂正則さんも選手だ。というか、光さんより先に名が知られるようになったのは父の正則さんのほうである。光さんと同じくフルタイムワーカーの公務員ながら、スワコレーシングに所属して、シクロクロスとMTBの世界選手権に何度も出場し、今もトップレベルの実力を有する。

「自然と僕も自転車にも乗るようになり、小学校のときにはMTBのレースに出てました。ずっとサッカーをやっていたので、本格的にレース活動をするというよりは、たまにレースに出たり父親と一緒に走りに行ったり、というレベルだったんですが、高校のときにシクロクロスに出てみたらすごく面白かったんです。それで大学から本格的に自転車競技を始めることにしました」

 

ブリッツェンと世界戦

シクロクロスのどこに魅力を感じたのか。

「練習すればするほど自転車の扱いが上手くなって、綺麗に乗れるようになるところですね。父親がレースで勝っている姿をたくさん見てきたので、自分も頑張れば勝てるのではないかと思っていたんですが、最初のレースでは全く歯が立たなかったんです。でも乗れば乗るほど、練習すればするほど成績が出るようになって、どんどん楽しくなっていったんです」

父と同じく、シクロクロスという競技に魅せられた小坂さんは、大学で学業とレース活動を平行して行う。

「大学には自転車競技部がなかったので、父が所属していたスワコレーシングチームに入って、ロードレースとシクロクロスに参戦してました」

大学2年(2008年)のとき、転機が訪れる。

「BR2(当時の実業団ロードレースのカテゴリ)でランキング1位になり、宇都宮ブリッツェンの立ち上げの準備をしていた廣瀬(佳正)さんと柿沼(章)さんからレース会場で声をかけていただいたんです。そうして、2009年のブリッツェン設立時から加入することになり、3~4年は大学に通いながらブリッツェンで走っていました」

ブリッツェンの選手活動と平行してシクロクロスも継続。めきめきと実力を付け、2009年の1月にはU23でシクロクロス世界選手権に出場している。父の正則さんが1992~1999年と2006~2009年にはエリートで、2004年と2014年にはマスターズで世界選手権に出場しているのだから、当然の流れだったのかもしれない。

「世界選に出ることが決まってからオランダに修業に行かせてもらって、二週間ほどホームステイして数レース走り、本場のレースを知ってから世界選に臨んだつもりでしたが、日本のレースとはもう全然レベルが違いました。なんとか完走はできましたが、本場は違うと痛感しましたね。ちなみに、このときは父がエリートに出場、僕がU23で走りました」

翌2010年にも日本代表となり、シクロクロス世界選手権に出場している。

photo/Nobumichi KOMORI

 

プロになるか、就職か

2011年、大学を卒業。実力的にはプロになる道も選べたはずだが、就職を選択し、宇都宮市役所の職員となる。

「プロになるか、就職するか。ものすごく迷いました。大学4年のときは結構走れるようになっていて、2010年のロード全日本もU23で4位だったので、プロ選手という道も選べたんです。レースは続けたかったですし。迷いつつ、就活しながらレース活動をしていたんですが、2011年、広島での全日本選手権の翌日に市役所の面接があったんです。このとき、『U23の全日本で勝ったらプロになって宇都宮には帰らないぞ』と思って挑んだんですが、結果は4位。そこで選手生活には一度区切りをつけ、就職を決意しました」

20代そこそこで人生の岐路に立ち、選手か就職かという2つの選択肢から後者を選んだ小坂さん。

「その決断には、仕事をしながらシクロクロスで活躍していた父親の姿を見ていたことが大きく影響していたと思います。僕も同じやり方でレースを続けられるのではないか、と」

その言葉通り、就職してからも、お父さんと同じように仕事と並行してレースを続ける。しかも、かなり本格的に。

「宇都宮市役所に就職してからも、引き続きブリッツェンに所属させてもらうことになりました。就職1年目(2011年)はブリッツェンでロードとシクロクロスの両方をやっていたんですが、環境が変わったこともあってロードレースは全然走れなくて。2011年末でロードの契約は終了し、2012年は、夏はブラウブリッツェンでロードレースを走り、冬はブリッツェンのジャージでシクロクロスを走っていました」

「就職直後は仕事と競技を両立するのに苦労しましたが、だんだんコツがつかめてきて、2012年12月のシクロクロス全日本選手権で初めて表彰台に立てたんです。そのときから全日本での勝利が目標になりました」

 

新チーム立ち上げ

2013年には那須ブラーゼンに移籍、そこで4年の選手生活を送る。しかし、小坂さんはロードレースを走りつつシクロクロスに軸足を置く、という変則的な選手人生だったため、選手としての活動内容はやや複雑だ。

「2016年はブラーゼンでロードレースを走りつつ、じてんしゃの杜というショップのサポートを受けてMTBレースにも挑戦しました。それもあって2017年はMIYATA-MERIDA BIKING TEAMに加入します」

photo/kasukabevisionfilmz

 

そして、その年の冬、野辺山で行われたシクロクロス全日本選手権で優勝、念願だったシクロクロス日本王者となる。その翌年(2018年)には再びブリッツェンに加入し、2021年には二度目となる全日本チャンピオンに。

photo/Nobumichi KOMORI

「2023年まで、ロードもシクロクロスもブリッツェンで走らせてもらいました。今年(2024年)はヴェロリアン松山に所属していますが、シクロクロスでは宇都宮LUXという新チームを立ち上げました。来年は宇都宮LUXの活動に注力します」

※後編に続く

PAGE TOP