TRYCLE 田渕君幸さんインタビュー(後編)/“タブチン”の使命
PBP完走やアメリカ横断を成し遂げ、メンテナンスや洗車をメインとする新形態のショップを立ち上げ、パーツの代理店業も開始し、カフェを併設した2号店を開店し、イベントも手掛け……と、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで事業を展開するトライクルの田渕君幸さん。彼は一体どこへ向かっているのか――。2時間に渡るロングインタビューの全記録。
トライクル、スタート
当時、東京ヴェントスが拠点としていたのは、閉校した多摩川小学校の校舎を使って事業展開している「たちかわ創造舎」内にあったサイクルゲートというショップだった。東京ヴェントス解散に伴い、2019年12月に閉店が決まっていたのである。
「とりあえず遊びにいきます、と返事をしてサイクルゲートに行ってみると、これは面白そうだなと」
そこで「3カ月、考える時間をください」と返事をして、田渕さんは八丈島に行ってしまう。
「八丈島でリゾートバイトをしながら、サイクルゲートでなにをすべきか考えたんです。結果、二戸さんに『やらせてください』と返事をしました。サイクルゲートという実績はあるし、多摩川サイクリングロード直結という立地もポテンシャルを秘めていると感じました。でも、当時はショップではなく、ソフト面のサービス提供を考えていたんです。具体的には、レンタサイクル/サイクリングツアー。でも、それには自転車をいじれる人が必要ですね。自転車はソフトが重要だといっても、あくまでハードありきのソフトなので、ハードになにかトラブルが生じたときに直せないと続かない。僕は学生時代にショップでバイトをしていたのである程度はいじれますが、人のバイクにサービスを提供できるレベルではない。メカニックが必要だけどどうしようかと行き詰っていたときに、独立してショップを開業したいと言っている人を紹介してもらって。それがノリさん(橋本規行さん)です」
「僕がやりたいのはあくまでソフトの提供でしたが、それにはショップというベースがあるべきだと考えました。ショップを開業するにあたって、少しずつ資金を持ち寄って会社(TRYCLE合同会社)を立ち上げました。2020年2月29日です」
それがトライクルのスタートだ。トライクルとは、挑戦のTRYに自転車のCYCLEを組み合わせた造語である。
コロナ、直撃
「でも、少ない資金の中から工具やらなんやら揃えていったら、もの(商品)を仕入れるなんてとうてい無理。ノリさんと2人で『どうする?』と相談したんですが、当時、多摩地域の大きなショップさんが撤退してメンテナンス難民が溢れていた。当時のショップは『うちで買ったバイクしか面倒みませんよ』というスタンスのところも多かったんですが、キャニオンなどの直販ブランドが勢力を付けてきて、ヤフオクやメルカリでバイクを買うということも一般的になってきて、ショップ以外のルートでバイクを入手する人が増えていたときだったので、『うちはそこを取り入れよう』と。常連さんが付いているわけではないし、売るものもないから、持ち込み歓迎にして困っているお客さんに来てもらおうと。ノリさんは技術も知識もあってなんでも直せますし。また、洗車というサービスも始めました。同時期にはラバッジョさんが洗車専門店を開かれて、自転車界で洗車という文化が根付き始めていました。そこで現在のトライクルの基本コンセプト(ソフトの提供、持ち込み歓迎、洗車サービス)が決まったんです」
だが順風満帆の船出、とはならなかった。トライクルは出だしでいきなりつまずく。ときは2020年、そう、コロナ禍の始まりである。
「2月に会社を立ち上げて、1カ月で準備して、4月にトライクルをオープンして、たった数週間で閉鎖です。前年度の実績もないから補助金もほとんど受け取れませんでした」
社会の在り方が一変したコロナ禍のなか、営業は安定せず開店もままならない状況が続く。結局、約1年後にたちかわ創造舎が正式にトライクル閉店を決定する。物件探しに奔走し、たまたま見つけたのが矢野口の現店舗だった。
新天地へ
当時すでに自転車の街として盛り上がっていた矢野口に表れたトライクル、話題にはなった。「持ち込み歓迎?メンテナンス専門?洗車サービス?なんだそれ?」というややネガティブなものも含めて。
「イロモノ扱いはされたと思います。でも持ち込み歓迎と謳ったことで頼りにし下さるお客さんが増え始めて、なんとかいけるんじゃないかと」
販売ではなく、メンテナンスや洗車をサービスの基幹とするトライクルは、自転車の街である矢野口で軌道に乗りつつある。一方、田渕さんの使命でもある「自転車界でソフトを充実させる」については、現在絶賛模索中だ。
「ソフト面を充実させているショップも存在します。でも、店長やスタッフが早起きしてライドを先導して……ということにお金は発生していない。そこに疑問があるんです。ライドやイベントなどのソフトは大きな価値があることなのに、そこに対価が発生せず、手間がかかっているのに回収できないのは不健全だなと。そこをビジネスとして回せるようになったら自転車業界は変わると思います。参加費なのかほかのことなのか分かりませんが、ソフトに対価が付随するようになれば、お店も積極的にソフト面を充実させるだろうし、お客さんが新しい楽しみ方に目覚めてものが売れるようになるだろうし、好循環が生まれるはず」
「僕自身、通学から始まって、旅、ブルベ、レースをやって、今はグラベルも楽しんでます。自転車ってこんなにいろんな楽しみ方があるのに、それを知らないまま多くの人が辞めてしまうという現状があります。ソフト面の提案を充実させて、バケツの穴をふさいでいけば、自転車人口もここまで減らない。それが僕の仮説なんです」
それにはユーザーの意識改革も必要だろう。今まで無償でできていたことが有償になると、反発は必ず生まれる。
「そうですね。無償のソフト提供には疑問を感じますが、一度はやってみないと否定も肯定もできないと思い、トライクルではライドや練習会やコミュニティ作りをしてきました。今年はトライクル.INGという実業団チームが飛躍した年ですが、現在は無償で運営をしています。ソフト提供に関してどうすべきなのか、まだ答えは出ていません。現在模索中ですね」
新形態の2号店
その模索の一つが、先日オープンしたトライクルの2号店、正式名称「トライクルロッジ宮ケ瀬」だ。
「人が集まるベースを作りこそがソフトの土台であると思っていて、カフェを併設した2号店をオープンしました。人が集まってくれる場所を作れば、いろんなソフトがそこで提供できて、お金も回るかもしれません。チャレンジは始まっており、2号店のオープン記念のライドは参加費6,000円に設定しましたが、すぐに枠が埋まりました」
カフェを併設した2号店のオープンをもって、「タブチン、海鮮丼屋を開く」の謎が解けた。
「アメリカ横断中にいろんなショップを見て回ったんです。いい雰囲気で盛り上がっているショップは、飲食をハブにして、コーヒーを飲みながら話をするような空間が多かったんですね。一方、日本では素敵なカフェはたくさんある。いい自転車ショップもたくさんある。でもその2つを合体させた店舗はまだ少ない。そう思って、それができれば最強のベースになると。いつかどこかのタイミングで絶対にやりたかったんです。でも矢野口の店舗は飲食不可だったので、別の店舗で展開する必要がありました。それに、飲食は自転車屋とは別の難しさがあります。それも経験しないとだめだと思って、2022年に1年限定で飲食業を経験したんです。叔父が飲食業をしているので、そこの暖簾分けとしてやらせてもらったんです」
当時はいきなり海鮮丼をやりはじめたものだから、この人は一体どこに向かっているのだろう?と訝しんでいたのだが、修業・経験のためだったのだ。しかし、カフェのために飲食店を開業し海鮮丼を提供し始めるというその行動力には驚くばかりだ。
「場所はアリオというフードコート。海鮮丼にした理由は、フードコートの中に海鮮がなかったから。もちろんカフェも考えましたが、スタバがあるなかで勝てるわけがないですし、海鮮だろうがカフェだろうが、原価率計算して調理してお出しして顧客満足度上げて……という基礎は変わらないなと思って。結果、収支としてはとんとんで、綱渡り状態で僕の人件費が賄えていたかというと難しかったです。いろいろ大変なことがありましたが、いい経験はできました」
その経験を踏まえてオープンした2号店。今後、トライクルは今までさほど力を入れてこなかった物販にも挑戦するという。
「オーバーホールをお受けしたときにアップグレードしたいというご要望がかなり多く、そこにニーズがあるのであれば販売もすべきだと考えて、手始めにエリートホイールの本社と契約を交わして第一号店/サービスセンターになりました。エライリーというカーボンクランクの取り扱いも始めます。中華はよく否定されますが、実際に見てみないと肯定も否定もできないなと思い、中国の厦門と深センに行って、工場と生産体制を見せてもらいました。確かに彼らにはいいものを作るという熱意はあるけれど、彼らがよしとするレベルと日本人が求めるレベルには差があるので、そのギャップを埋めて、安心して買えるという付加価値を付ければ、既存のメーカーと勝負できるなと」
人生をかけて
まさに「躍進中」という言葉がぴったりなトライクル&田渕さんだが、今後の目標は。
「自転車界で『ソフトを作ること』です。ただし、その正解はまだ見つけられていません。それがイベントなのかコミュニティなのかスクールなのかそれ以外なのかは僕の人生をかけて見つけ出すテーマです」
「今はいろんなことにチャレンジしていく段階です。現在、富士グラベルというイベントを進行中ですし、スクール事業もやる予定ですが、ソフトを明確なビジネスにつなげるのが目標。物売りに頼りすぎていることが今の課題だと思っているので、ソフト面でしっかりビジネスが回るようになれば、きっと他のショップさんも追従してくれて、業界がよりよくなるんじゃないかと思ってます」
自分が関わるビジネスをどうするか、自分の周辺のコミュニティをどうするかを考えている人は多いが、業界の今後を本気で考えて俯瞰し戦略を立て実際に行動に移して多方面で動けている人は稀だ。しかもまだ30代前半という若さ。おそらくこれからいくつも挫折や失敗はあるだろうが、それらを克服して幸せなサイクリストを増やしてくれることを期待する。田渕さんの明るさと行動力は、おそらくそのために神様が与えた才能なのだから。