ビチクレッタSHIDO 安藤店長インタビュー 「活私奉公」の安藤さん
ビオレーサーファミリーにお話しをお聞きするインタビュー企画、今回は狛江市でビチクレッタSHIDOを切り盛りする店長の安藤光平さん。これまでの経緯から、ショップ経営における姿勢、今後の展望を聞いた。
中尾さんとの出会い
開店から10年を迎えるショップがある。東京・狛江のビチクレッタSHIDO。カウンターの奥にあるメカニックスペースで整備に組み立てにと日々奮闘しているのが、店長の安藤さんである。
「スポーツバイクに触れるきっかけは、父親が家に持ってきたサイクルスポーツ誌でした。99年とか2000年あたりの、MTBがメインの頃ですね。中学生のとき、それを見て『こんなカッコいい自転車があるんだ!』と。そこでジャイアントのMTBを買ってもらい、おこずかいでパーツを買っては交換して、楽しんでました。もともとはいじるほうが好きだったんです」
「高専に進学すると同時に自転車部に所属したんですが、本格的に走りに目覚めたのは、北千住のフィッテに通うようになってから。お店のブログに東京~糸魚川ファストランのレポートが掲載されていて、それを読んで『これに参加したい!』と。そこでフィッテのチームに入って、本格的に走るようになり、ロングランはもちろん、JCRCや実業団のレースにも参加するようになりました」
社会人になり、走れる店長・西谷さんが率いるオーベストに所属して走っていたとき、同い年の中尾 峻さんと意気投合をする。それが人生の岐路となった。
「一緒に自転車屋をやろう」
「中尾が自転車ショップを開店する計画を立てていたんです。僕が中尾の自転車を整備していたこともあって、『こいつメカニックに欲しいな』と思ってくれたんでしょう。それで、『会社を辞めて本気で自転車屋をやるから、お前も一緒にやってくれ』と」
安藤さんも会社を辞し、他店での修行を経た2014年、関東サイクリストの定番コースである尾根幹と多摩サイの玄関口ともいえる狛江市にショップ「ビチクレッタSHIDO」をオープンする。
お店のコンセプトは、「クラブチームがあり、店主自身も走れて、それによって人を集められるようなショップ」。お手本にしたのは、かつて自身が所属していたオーベストだった。
2019年に、同じ狛江市内で移転し、店内が2倍ほどに広くなった現在の店舗で営業中だ(中尾さんは2017年に沖縄にて姉妹店であるビチクレッタSHIDO名護店をオープン。狛江店の営業から離れ、名護店で自転車ツアーや洗車サービスを提供する宿泊施設を経営されている)。
チームのウエアはビオレーサー製。もちろん安藤さんが選んだものだが、ビオレーサーに決めた理由を聞いた。
「かつて所属していたJプロツアーのチーム、フィッツのウエアが他メーカーからビオレーサーに切り替わったとき、フィット感・動きやすさ・着やすさに感銘を受けたんです。ショップのチームというと、機材はお店が取り扱っているものであれば好きなものが選べます。でも、ショップジャージに関しては、僕が決めたものを着てもらうことになります。だから、性能面で誰もが『このウエアはいい』と思えるようなものを選びたかったんです」
夢を売る仕事だから
安藤さんにお話をお聞きしていて印象に残るのは、ショップや店長個人としての存在感を押し出すというよりは、サイクリストを支援したいという、どちらかといえば控えめな姿勢である。実際、「自分が前にどんどん出ていくというよりは、誰かのサポートをしたいという想いが強いですね」と語る。
自転車業界の問題点についてお聞きしようとしたときも、「僕はそういうことはあまり考えないし、アウトプットもしないようにしてるんです。自転車のプロショップって、夢を売る商売でもありますよね。自転車って『好きなこと』の対象ですから。そういうところでは、あまりネガな部分は出したくないな、と」
誰もが批判し主張し文句を言いご意見を表明する今、思わずハッとさせられる言葉である。
「いや、実は嫁からそうしろと言われてるんです。僕は何も考えてません(笑)」
「お店としては、特に具体的な目標を掲げているわけではありません。今まで通り、どんな形であれ、頑張っている人、なにかに挑戦している人のサポートを長く続けるだけです。個人的な目標は、もう少し走れるように体型を戻したい(笑)」
滅私奉公という言葉がある。自分を犠牲にして他の人や物事に尽くす、という意味である。ビチクレッタSHIDO、そして安藤さんの姿勢からはそんな言葉が連想されたが、安藤さんの控えめだが自転車愛に溢れるその姿勢を“滅する”なんて勿体ないと思う。ぜひ、そのスタンスを“活かし”て、「活私奉公」の姿勢でこれからもサイクリストのサポートを続けていただきたい、と思う。